2010年 12月 13日
湯煙 |
湯が現場。
蕨の「シェルーフ」半年点検に伺いました。
家族みんなで迎えていただきました。
半年で何がどうということはありませんが、
微調整の部分少しばかり。やはり木は生き物です。
木との付き合いはまだまだこれからです。
一方、暮らし向きのほうはすっかり落ち着いていました。
3人の子供たちは徐々にプライバシーの
初歩的認識が芽生えてきています。
それぞれに声の出し方に加減があります。
大きなワンルーム容積での生活です。
家づくり、家育てが確実に育まれていました。
さて、シェルーフの鼻先でいまひとつの家づくりが竣工。
アトリエスタッフデシ2人組の力作です。
正式案内をいただいたので赴きました。
ガク&コハヤシの大きな小屋組みを持つ共作でした。
質問はナシで!とコハヤシ。
モノを視てモノの話など、はじめから語るつもりはありません。
力作にモノの批評など無意味だし関心ありません。
だって、力作に100点以外つけようがないからです。
そんなことより
モノを視て語りたいのは、家族の暮らし向きや
共同作業のプロセスなど、このモノとどうリンクさせて
想像しようかなということ。
その勝手なつぶやきでモノと対話するほうが有意義です。
それでもモノの話というならば、
庭先に建つ鳩小屋の、偶発的必然的姿形に大きなヒントを発見!
それは、無駄を一切許さない暮らしの形が、見逃すべからず訓を語っていましたよ!という抽象論ぐらいですね。
だけどあのバナキュラーこそ見逃してはいけない。
そして都市機能を支えるインフラ整備と農環境のアンバランス。
それでもまだまだ農的地霊が宿る生活環境にほっとして現場を後にしました。
久々に浸かった湯が現場の湯煙の中で、再び想い呟きが広がります。
by k-seno
| 2010-12-13 01:32