2010年 11月 23日
継承 |
外苑の一週間後、奈良大和路を走ってきました。
片道550km、もちろん車です。
小さなマイカーでのドライブ、実は最長不倒距離です。
本当は、あまり車での移動は好きではありません。
ましてや自分で運転など考えられないことと思い込んでいました。
名古屋で姪の結婚式や親族会などがあったため、
それじゃあということになったのです。
僕は長男でもある一方、四人兄弟のばっち(一番下)でもある身分。
兄貴達、正確にはその配偶者達から「車」といわれれば車なのです。
それで、せっかくですから名古屋の後、大和路へ赴きました。
天気に恵まれたのが幸いのツアーでした。
名古屋から亀山、伊賀経由で大和路へ。
初日は室生寺から長谷寺、法隆寺は夕方でした。
そして猿沢池畔のホテルに着いたときは、
興福寺五重塔のライトアップが夜の帳をすっかり背景にしていました。
翌日は、足元興福寺から東大寺境内へ。
正倉院を廻り、県庁屋上へ。
まほろばの大地を一望します。
県庁食堂名物限定20食親子丼は逃がしましたが、
地元商店街で美味しい釜揚げうどんを2玉いただきました。
昼食後は平城宮を横目に唐招提寺へ。
もちろん車兼用ですが、朝からもう15キロ以上歩いてもいます。
ここまで来て、南の薬師寺をはずせないツアーご一行!
集合して再び550kmの帰路に付いたのが17時。
そこからひたすら安全運転7時間半。
平均時速73km/hは中々の腕前かしらん!?
さて、今回の大和路ツアー。
誰でも巡るだろうコースどりにしたのには、運転手をかってでた下心が・・・。
今更ではありますが、
どの寺院も1000年以上の時を経て現在に。そして未来に継承しようとしています。
建築的には途中幾度かの火災で焼失。その都度再建されたものばかり。
興福寺中金堂にあっては正に8年後の落慶に向けてやっと柱が立ち上がりました。
そんな時間と建築、とりわけその屋台骨たる木の性質のようなものを、
きちんと視てみたい衝動に駆られていたからです。
ご一行様が、概略と仏像のウンチク語りながらぐるぐるするのをよそに
ひたすら、柱や梁、垂木や差し肘木の風化具合を見比べます。
各寺院視て、改めて分かることは1000年も建築を支える木の凄さ。
これやはり圧巻です。
しかし、さすがに野放しで1000年を支えたわけではありません。
根継ぎその他で補修の連続が1000年を支えてきたということです。
つまり建築は自力で持ってきたのではなく、補修で持たせてきた歴史の
積み重ねなのです。
次の1000年を待たせるための屋台骨づくり。
まずはその木の選定ですが、
残念ながら日本の山にはもうありません。
今回の興福寺の柱も、そっくりアフリカのケヤキだそうです。
薬師寺もしかりですね。
そういう屋台骨の木たちとの対話を堪能してきました。
大和路の紅葉も今が真盛り。なのでしょうが、何か変です。
銀杏は木ごとのムラはあっても、鮮やかな黄金色見事です。
大和路の代表格といえばモミジだと思い楽しみにしていました。
このモミジの色づきがいまいちなのです。
あの燃えるような赤みがなく、くすんでいます。
孟夏の影響が少なからず出ていてちょと残念でした。
あとは各寺院のある地域のまち歩きは欠かせません。
今回も色々な暮らし向きの町家や納屋、土蔵の
探検発見ほっと見?が皆の足を引っ張ります。
その成果が、このコンポジション。
なぜかこういう構成に引き込まれます。
完全に視覚優先思考な自分を再確認します。
これにだったらいくらでも物語が膨らみます。
更に長くなりますから、今回はやめます。
そんな大和路紀行報告でした。
by k-seno
| 2010-11-23 22:31