2006年 06月 07日
明治のポストモダン商店日本建築「料亭信濃」を視る。 |
信州上諏訪にこんな明り採り窓発見。このほかにも「ほっとけん」窓・間戸・間取り有り。建築は遡ること100年。つまり明治の末期、東京から職人達がやってきて3年かけて仕上げたんだそう。資材調達も困難を極めたんじゃないのかなあ?の疑問はその通りで、職人達は資材が来るまで、晴耕雨読的合宿生活を楽しんでいた模様。でなければここまでの意匠創りを、また楽しむことは出来なかったであろう。見ていてただただニクイばかりの面と線。実はちょうど1年前から、28年振りの一般公開なのだそうだ。その建物用途は当初から「料亭」。だから当時はめちゃめちゃ贅を尽くしたポストモダンな日本建築として周囲を唸らせたことだろう。創業以来3代目夫人が1977年まで支えてこられた。その後廃業、しかし今回の離れ2棟だけは、その3代目夫人「小池志保子」さんが、周囲の再開発を他所に、ずっと保存してこられた文化継承者である。そんな料亭「信濃」を訪れました。メンツは筆者「道草匠」と、この日着工した「ちひろちゃんち」のパパ(後ろ)、左端にオーナーの小池志保子さん。右端に娘さん。筆者右隣がここを紹介してくれたご当地の笑うセールスマン・・いや失礼!気さくな不動産屋・武井雅樹君。ちいちゃんちと僕らの縁結びの仲人です。2間続きの客座敷棟縁側で。石場建て(柱立て)の柱脚周り、まだまだしっかりしてました。
クロガキやケヤキを贅沢な使い方と、その創造性。天井伏せは「なんということでしょう」!これもやはり竿縁の部類として建築学ではとらえるのか?しかしそんなことどうでもいいこと、それこそ「見て知りそ、知リテナ見ソ」である。お見事、後はヨダレもん。いやあまいった! 昨年の公開以来、お茶会や様々なアーテイストの展示ギャラリーとしてなど、プログラムも多彩。かつて、文人・歌人などがこよなく愛した癒しの場所だったに違いない「料亭信濃」。聞くところによると、三島由紀夫や水上勉。更には竹久夢二や森重久弥らが訪れ、舞子を呼んでの画会も開かれたそうだ。建築界も、相当数調査目的で訪れ話題になったそうだが、文献を知らない勉強不足かな?諏訪湖周遊の折は是非皆さんもコースに入れてみてはいかがでしょう。こういう建築は万人の心を癒してくれると思います。教訓!
by k-seno
| 2006-06-07 02:01