2010年 03月 19日
絵空 |
僕の心の中には粘土少年がいます。
粘土少年は、いつでもポケットの中の粘土をこねくり回していました。
どんなところでも、粘土はさまざまな動物の姿になっては、またこねくり回され、少年のつぶやきの友でした。
そんな粘土少年の過ごした家や町を想像するのが僕の楽しみであり、自分の生い立ちに重ね合わせ、また楽しむ至福の時でもあります。
それは、もう40年も前の原風景との対話です。
僕は粘土はどちらかというと苦手でしたが、でもいつも落描きしないでいられない、鉛筆少年とでも言っておきましょうか。
そんな性分からか、知らない粘土少年を勝手に友達にしてしまったのが15年前。
粘土少年も僕も、いいおやじになっていました。
縁あって昨日、その粘土少年の原風景たる町と家を訪ねる機会に恵まれました。
その家は、なんとこのスカイツリーの足元でした。
なんとも不可思議な光景の中に粘土少年の原風景は確かにありました。
粘土少年の家は、このスカイツリーを核にした新たな町の営みと共生していかなくてはなりません。
まずその第一歩、何はともあれ家の健康診断をさせていただくという目的で伺いました。
その上で、次の時代にこの粘土少年の家をどう継承させるべくプログラムを考えないといけません。
まちの育み方、なにか建築やモノではないような気がしてならない一日でした。
粘土少年は、いつでもポケットの中の粘土をこねくり回していました。
どんなところでも、粘土はさまざまな動物の姿になっては、またこねくり回され、少年のつぶやきの友でした。
そんな粘土少年の過ごした家や町を想像するのが僕の楽しみであり、自分の生い立ちに重ね合わせ、また楽しむ至福の時でもあります。
それは、もう40年も前の原風景との対話です。
僕は粘土はどちらかというと苦手でしたが、でもいつも落描きしないでいられない、鉛筆少年とでも言っておきましょうか。
そんな性分からか、知らない粘土少年を勝手に友達にしてしまったのが15年前。
粘土少年も僕も、いいおやじになっていました。
縁あって昨日、その粘土少年の原風景たる町と家を訪ねる機会に恵まれました。
その家は、なんとこのスカイツリーの足元でした。
なんとも不可思議な光景の中に粘土少年の原風景は確かにありました。
粘土少年の家は、このスカイツリーを核にした新たな町の営みと共生していかなくてはなりません。
まずその第一歩、何はともあれ家の健康診断をさせていただくという目的で伺いました。
その上で、次の時代にこの粘土少年の家をどう継承させるべくプログラムを考えないといけません。
まちの育み方、なにか建築やモノではないような気がしてならない一日でした。
by k-seno
| 2010-03-19 00:26